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寛政の三奇人の残り2人は誰ですか?
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林子平と蒲生君平です。

林子平は江戸に幕臣の子として生まれました。父が改易されたために浪人となりましたが、姉が仙台藩主の側室となったために兄とともに仙台に移り住み、禄を受けることとなります。質素な生活をしながらも全国を行脚し、江戸や長崎にて学びました。
彼はロシアの南下政策やヨーロッパのアジア植民地政策を危惧し、国防論を説きましたが、晩年に起こった寛政の改革は蘭学やそれに影響を受けた思想をよしとせず、彼は蟄居させられ、無念の内に死んでしまいます。

蒲生君平は宇都宮の生まれです。町人の生まれでしたが先祖が会津藩主蒲生氏郷ということを聞き、姓を蒲生に改めました。とはいえ武士として生きることは出来ず、彼は学者として生きることを決意します。儒学を学び、古墳を研究し、天皇陵に関するものなどいくつかの書籍を記していますが、金になる内容ではなかったためか、生活は赤貧そのものであったといわれます。ロシアの南下政策を危惧して国防論を説いた「不恤緯(ふじゅつい)」によって幕府に目をつけられることになりました。

高山彦九郎、蒲生君平ともに林子平邸を訪問した記録がありますが、高山彦九郎と蒲生君平が出会ったかどうかはわかりません。3人とも江戸幕府の政策に危機感を抱いたために志半ばで生涯を終えています。ですが、その遺志は多くの人物の心を揺り動かし、明治維新へとつながっていくことになるのです。