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御池通はなぜ広いところと狭いところがあるのですか?
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広くなったのは戦後のことです。

京都市街を南北に見たとき、そのほぼ中央を東西に走るのが御池通です。戦後復興の折りに道幅が広げられ、京都の中でも広い方の道となり、祇園祭の山鉾巡行路にもなりました。東の端、鴨川のほど近くに京都市役所もあり、繁華街とは違った意味で、京都の中心部という雰囲気があります。
この御池通、川端通りを起点として東の方から進んでいくと堀川通りとの交差点で細くなり、JR二条駅、地名で言うと「西の京」と呼ばれる辺りでいったん途切れてしまいます。なぜここで途切れてしまうのか、その理由はまたの機会に紹介するとしまして、「広い御池通」は川端~堀川間だけといえます。

これは、第二次世界大戦の際に旧御池通周辺の民家が強制疎開されて防火地域となり、戦後、その空き地を都市計画道路として整備したためです。

平安京の頃の「三条坊門小路」は、幅約四丈の道であったとされています(一丈=約3m)。一条大路や九条大路などの大きな通りの幅は10~12丈、朱雀大路に至っては28丈ありましたので、広い方の通りではなかったといえます。堀川~二条駅間の道幅くらいが、当時の道幅だったのでしょうね。