京都新発見サイト 逸都物語

ホーム arrow 京都なぜ?なに? Q&A arrow 京都なぜ?なに?Q&Aarrow 醍醐寺は誰が再建したのですか。
醍醐寺は誰が再建したのですか。
プリント 

主な再建者は、豊臣秀吉とその子秀頼です。

醍醐寺は真言宗の寺院で、弘法大師の孫弟子に当たる人物が上醍醐を開山したところから始まります。真言宗は天皇や公家の信仰が厚く、醍醐寺も醍醐天皇をはじめ天皇家や公家と結びつきを深め、発展を遂げていきます。
しかし、応仁の乱が起こった1467年より3年後、醍醐寺は大内氏の手によってそのほとんどが焼失してしまいます。その後百年以上にわたり、下醍醐は一部が焼失を免れた五重塔のみが残っている状態でした。

安土桃山時代に入り、義演という公家出身の座主が醍醐寺の復興を開始します。彼は足利義昭の猶子であったこともあって豊臣秀吉と接点があり、秀吉の帰依を受けて醍醐寺の再建を本格化させました。
桃山時代も終わり近い1597年、豊臣秀吉は五重塔の修繕費を寄進しました。翌年には桜七百本を植樹した上で大花見宴を執り行い、その後も積極的に醍醐寺再建に取り組みました。金堂や三宝院は秀吉の死後に再建されていますが、再建自体は秀吉が指示したものです。

今の京都は、豊臣秀吉の手によって再建されたものが多いですねえ。秀吉様々です。