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十月~紫式部と墓所 プリント メール
作者 たきねきょうこ   

紫式部 小止みになった北山時雨(きたやましぐれ)に、紫式部の実は、いっそう鮮やかに紫色の輝きを増しています。
このムラサキシキブ、学名を「美しい宝石」、また中国名は、その姿どおり「紫玉」というのだとか。

 朝鮮半島から中国、台湾まで幅広く分布し、日本全域でも見られますが、文献に登場するのは、江戸中期の「和漢三才図絵」あたりからで、その頃から都の文人墨客の間で、才媛で名高い「紫式部」の名で呼ばれ始めたようです。

 北区の堀川北大路を少し南へ下がった西側に、この紫式部の小さな墓所が、今も、ひっそりと鎮まって遺されています。こんもりと盛られた墳墓の上には五輪塔が据えられ、傍らには平安初期の漢学者・小野篁の墓も、並んでお祀りされています。

 ちょうど今頃、墓所の入り口の石碑には、ひとむらの紫式部が濃紫の美しい実をたわませて、稀代の女流作家の終焉の地を、つややかに彩っていることでしょう。

紫式部墓所

紫式部墓所(むらさきしきぶぼしょ)

説明 「川海抄」などの古い記録には、「式部の墓は、雲林院の塔頭の白毫院の南、すなわち北区紫野西御所田町に存した」と記されており、式部の墓所として今も尋ね来た人々は、用意されている「つれづれ帖」に、それぞれの式部への想いを残していかれるようです。
住所 京都市北区紫野堀川北大路下ル(Googleマップで表示
交通 地下鉄北大路駅下車 徒歩10分
市バス堀川北大路下車 徒歩3分
情報 墓所の手前には、国文学者の角田文衛博士の紫式部顕彰碑が据えられており、その碑文の写しが、和文と英文で用意されています。
 
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