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七月~法金剛院(ほうこんごういん)と蓮 プリント メール
作者 たきねきょうこ   

蓮 しのつく雨に草木はうっそうと緑の色を深め、その身に梅雨を溜め込んで、来るべき夏の乾きに備えて、万全のこしらえ。
人は蒸し暑さに扇子をしのばせ、町家は早々に夏座敷へとしつらえを替える、七月・文月(ふみづき)の到来。

 すがしさのまだ残る朝まだき、右京区・花園の法金剛院では、池を覆うように広げた蓮の葉陰からすっくと伸び上がった蕾たちが、次々と花を開きはじめます。

 

 このハス科の多年生水草は中国が原産とされていますが、私たちの国独自の野生種も確認されており、「万葉集」にも四首の歌が残されています。
また平安期以降、泥の中から清浄な花を咲かせる蓮は仏法の象徴の花として人々に敬わわれ、多くの蓮池が造られ、観蓮会が催されるようになっていきました。

法金剛院の池 「枕草子」にも「花は仏に奉り、身(実)は数珠につらぬき、念仏に郷楽往生」と書き記されており、当時の蓮への深い畏敬の念がうかがい知れます。またおなじみの蓮根以外にも、蓮のほぼすべての部分が食用や薬用となることから、人々からより一層、特別視され珍重されていったようです。
この美しい蓮池を抱く法金剛院は、平安期の始めに右大臣・清原夏野が山荘を築き、後に寺院となってからも色とりどりの花が咲き誇っていたことから、このあたりを「花園」と呼ぶようになったのだとか。平安時代の末になって、鳥羽天皇の中宮「待賢門院」(たいけんもんいん)が衰退していた寺院を復興し、法金剛院と改め、現在に至っています。

 往時は広大な敷地に庭園や御堂や寝殿、三重塔が立ち並び極楽浄土の再現とうたわれたようですが、数々の震災で堂宇を失い、現在では元和三年(1617年)に復興された本堂と経蔵等が、女院ゆかりの「池泉廻遊式浄土庭園」の西側を囲むように建立されています。
また美貌の待賢門院を西行は深く思慕していたと伝えられており、女院が亡くなられ、詠んだといわれる歌が今に伝えられています。

  「紅葉みて君が袂(たもと)やしぐるらむ 昔の秋の色をしたいて」

 現在、丹精込められた蓮は蓮鉢も含めて八十種にもおよび、一重から八重、また阿弥陀経に「極楽浄土に青・黄・赤・白の蓮の花が咲く」と記されている通りの様々な色目も鮮やかに、今も「花園」を彩っています。
きっと待賢門院も、北側の御陵から今年も見事に咲きそろった蓮の花々を、蓮池にこぼれんばかりの笑みをたたえて、愛しんでいらっしゃることでしょう。

法金剛院の山門

法金剛院(ほうこんごういん)

説明 律宗・唐招提寺に属し、正式には五位山(ごいざん)・法金剛院。本尊の阿弥陀如来像の他、僧形の文殊菩薩像や十一面観音菩薩像など重要文化財の所蔵も多い。7月6日から8月4日まで観蓮会が行われ、朝6時から拝観可。
拝観時間 9:00~16:00
住所 京都市右京区花園扇野町49(Googleマップで表示
交通 市バス「花園扇野町」下車 徒歩すぐ
JR山陰本線(嵯峨野線)「花園」駅下車 徒歩5分

 
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