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ホーム arrow みさとみちくさ arrow 八月~圓光寺(えんこうじ)と百日紅(さるすべり)
八月~圓光寺(えんこうじ)と百日紅(さるすべり) プリント メール
作者 たきねきょうこ   

百日紅(さるすべり) 熱風に猛った夏が、日盛りの路地を漆黒の影で縁取っていく、八月、葉月。
「息をするのもしんどい」といわれる京の街中をぬけて、人々は高雄や貴船の川床へ出かけては、川を渡る涼風にほっと人心地。
「すずやかさ」が、この季節、京の一番のご馳走です。
左京区・一乗寺辺りも、少し山際を登っていくだけで、高台を山風が渡っていくよう。このあたりは曼珠院や詩仙堂など、文人に愛された風雅な名刹の多いところ。その詩仙堂のすぐ手前を石碑に添って左に折れて五十メートルほど進むと、圓光寺の石畳が見えてきます。

 この圓光寺の前庭に、樹齢三百年とも四百年ともいわれる百日紅(さるすべり)が、あざやかな濃桃色の花を咲きほころばせていきます。本堂の軒に覆いかぶさるように、見事な枝を四方に伸ばし、葉を揺らすその姿は、無言の風格を漂わせて見るものを圧倒するよう。つややかな瘤をいくつもしたためた幹からも、幾多の歳月を生き抜いてきた古老の拳のような威厳が、満ち溢れています。
中国南部原産のミソハギ科のこの落葉高木は、鎌倉期に記された「夫木抄」に「さるなめり」の名が見受けられることからも、中国を経て鎌倉時代以前に渡来して、寺院などに植えられていったと思われます。
滑らかな幹肌を持ち、猿も滑り落ちるところから「サルスベリ」の名が、また七月から九月の始めまで咲き続けることから「百日紅(ひゃくじつこう)」の名が付けられたといわれています。

圓光寺前庭 その他にも「無皮樹(むひじゅ)」や「仏相花(ぶっそうげ)」、それに「クスグリノキ」の異名も。これは、つるつるの木肌を掻くと、木がくすぐったそうに枝葉を揺らすと考えた中国の古人が、この木を「怕痒樹」と呼んだことに由来するのだとか。原産地から大陸的なおおらかさも、花と一緒に伝わってきたよう。

 圓光寺は慶長六年(1601年)、徳川家康公が国内の学問の発展を図るため、三要元佶(さんようげんきつ)閑室(かんしつ)禅師を招き、学び舎として伏見に開いたのが始りといわれています。その後、相国寺の山内に移った後、寛文七年(1667年)現在の一乗寺小谷町に安住の地を得、現在に至っています。
山門から栞戸を抜け石段を上がっていくと、見事な十牛の庭が栖龍池(せいりゅうち)を抱くように木漏れ日を映して広がっています。ここはまた楓の古木が多く植えられ、春の新緑、とりわけ秋の紅葉の美しさでも名高く、洛北の紅葉の名所のひとつに数えられています。

 夏場、訪れる人も少ないこのひっそりとした山沿いの境内で、圓光寺の百日紅は、今年もまた街中より少し遅い八月の下旬頃から、縮緬状の花房を咲かせては散らし、また散らせては咲き続けて、人々の目を長く、また豊かに楽しませてくれていることでしょう。

圓光寺山門

圓光寺(えんこうじ)

説明 正式には瑞巖山・圓光寺。御本尊は千手観音像(伝運慶作)。学校として建立された由来から、出版に使用された最古の木活字が今も保存公開されている他、丸山応挙作の「竹林図屏風六曲」などの寺宝の拝観もさせていただける。庭園の水琴窟も、ひそやかな音色を響かせてすずやか。
拝観時間 9:00~16:30
住所 京都市左京区一乗寺小谷町13(Googleマップで表示
交通 叡山電車「一乗寺」下車 東へ徒歩15分
市バス「一乗寺下り松」下車 東へ徒歩10分

 
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