京都新発見サイト 逸都物語

ホーム arrow 洛々祭菜 arrow 十月~亥の子(いのこ)祭りと亥の子餅
十月~亥の子(いのこ)祭りと亥の子餅 プリント メール
作者 たきねきょうこ   

 護王神社は、平安遷都や都の造営に尽力された、和気清麻呂公(わけのきよまろこう)を後祭神に、高雄の神護寺から明治十九年に移築された神社で、御祭神のお使いと「聖猪」を信仰された由縁から、久しく宮中でも絶えていたこの亥の子祭りを昭和三十五年に復古なさったのだそうです。境内の回廊には神社の縁起や猪にちなむものの他に、亥の子餅に使われる粟の穂などが展示されています。

 さて、この亥の子餅。中国ではこの日に、大豆・小豆・ささげ・胡麻・栗・柿・糖の七種を混ぜ込んだ七色のお餅を食べると万病を防ぐとの言い伝えがあり、それが平安期の宮中に取り入れられて、根付いていったようです。また、その厳かさのゆえ「お厳重(おげんちょう)」とか、亥の日に食すことから「お亥猪(おげんちょ)」と呼び習わされていきました。

 「難五行書」にも「十月亥の日、餅を食べれば、人をして病なからしむ」と記されており、宮中の禁裡では、祭祀のお供え物一切を司った内蔵寮(くらづかさ)が、また天皇自らこのお餅製されることもあったようです。その折は、満月に照らし出されてお餅をつく兎さながらの、厳かで愛らしいお道具たち・・・松の木で作った「つくつく」と呼ばれる小さな臼と、柳の木で作った「なかぼそ」と呼ばれる杵を持って、亥の方(北西)を向いておつきになったのだとか。
 つきあがった黒(胡麻)・赤(小豆)・白(栗)の三種のお餅は、碁石大に丸められ、壇紙か杉原紙に包まれて、初めの亥の日には菊花を、二の亥の日には楓を、そして三の亥の日には銀杏にしのぶを添えて下賜されたのだそうです。

護王神社

狛犬ならぬ狛猪

護王神社には狛犬(こまいぬ)ならぬ狛いのししがあります。面白いですね。

 厳かな儀式ごとは少し棚に上げて、十月も半ばを過ぎると、老舗の和菓子屋さんで、それぞれ趣向を凝らした亥の子餅が、作られ始めます。お茶の炉開きにも使われるため、いずれも古儀を踏まえた、秋の風情をいや増すような典雅なものばかり。食いしん坊な私など、お菓子目当てにお抹茶席へ、いそいそと出掛けていったりして。

粟の穂 一昔前までは、街中の古いお家などでは、神棚に供える白餅を亥の刻に焼いて、火の用心と家内安全を祈ったのだとか。子供たちなら、とうに布団へ追い立てられる夜九時すぎ、香ばしい匂いが茶の間中に広がって、焼き餅のお相伴がなんともうれしかったと、話してくれたのは、母。お祝いごとの質素で贅沢な香りは、子供たちのうれしそうな笑みと共に、その夜、街中を伝播していったことでしょう。

 こたつを出して、ヒーターを仕込んで、冷え込む夜には亥の子餅を、あるいはふくれたてのあつあつの焼き餅を、今年も、どの子もみんな、なごやかにいただくことが出来ますように。 小さな営みのひとつひとつを大切にしていくことが、つまらない争いごとをおだやかにおさめていく、大きな手だてとなることを信じつつ。



 
< 前へ   次へ >