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十一月~お火焚きさん プリント メール
作者 たきねきょうこ   

 今では、近くのおまんやさん(和菓子屋さん)で、お火焚きまんじゅうを買ってきて、いただくくらいになってしまったお家も多い中で、市内の各神社では、それぞれに「お火焚き祭り」が営まれ、晩秋の京都の風物詩となっています。

 なかでも有名なのが、十一月八日に催される伏見稲荷大社の「お火焚き祭り(火焚祭)」で、数十万本の「火焚き串」(護摩木)を焚き上げて、万物をはぐくむ稲荷神(祖霊神)に感謝をささげるという、天空までも焦がすような、荘厳で壮麗なお祭りです。
 この「お稲荷さん」は、今では商売繁盛の神社として有名ですが、元来は、平安京造営以前からこの辺り一帯を治めていた渡来の氏族・秦氏が、祖霊を祀っていたお社で、「山城国風土記」には秦氏の始祖が白鳥に姿を変え山上に飛来し、そこから「稲生りき」(いねなりき)ことから、お社の名を伊奈利=稲荷と定めたと記されています。

謡曲「小鍛冶」より

 またお稲荷さんといえば狐がつきものですが、山科の花山稲荷神社には、こんな逸話が伝えられています。

 平安中期、名工と讃えられた三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)に、後一条天皇より守り刀を打つようにとの勅命が下ります。宗近がすぐに近くの稲荷社に祈願しますと、満願のほど近く、一人の若者が刀作りの合鎚(あいづち・師と向かい合って、相互に鎚を打つ弟子)を、申し出てきます。喜んで迎え入れますと、その若者は卓越した打ち手で、その甲斐あってすばらしい名刀が、打ち上がります。そして若者はその名刀に、「子狐丸」(こぎつねまる)名づけて、いずこともなく去っていく・・・実はその若者は、稲荷の神のお使いの霊狐だったというわけですが、能「小鍛冶」では狐載(狐の形の冠)をつけた蓬髪姿の稲荷神の化身が、狐足と呼ばれる独特の足使いで、霊妙さを見事にかもし出しますし、歌舞伎や長唄などにも脚色されて、今も、広く人々に親しまれています。

お稲荷さんの狐 この狐をお祀りする花山稲荷神社は、金物類を扱う商家や鋳掛け屋さんから、今でも敬い崇められていて、十一月の第二日曜日の「お火焚き祭り」には、「火焚き串」を、火をおこすときに使う「ふいご」の形に積み上げて、火の粉を舞い上がらせます。
 また、その他にも、東山区の八坂神社や恵比寿神社でもそれぞれ護摩木が焚かれ、火難を逃れ、無病息災を祈る炎むらが、晩秋の空を朱赤に染めていきます。

 火の恩恵にあずかって久しい私たちは、今年もやっぱり炊きたての新米や、ゆで上がったばかりの丹波栗や焼き芋を、暖かいこたつやヒータ-の傍らで、口福(こうふく)にひたりながら、当たり前のように享受しています。

 しかし火は、紅蓮の炎となってすべてを焼き尽くし、滅ぼし尽くす力をもそなえ持った人の力ではおよびもつかない、また、尊いもの。

  私たちが、どうぞいつまでも先人たちの火への、季節への、感謝と畏敬の気持ちを忘れずにはぐくんでいけますように。

 そして、私たちのしでかす無益で、短慮なおこないごとによって、私たちを養い育てた地母神を、どうかこれ以上、火によって傷つけたりしないための人の知恵や手立ても、一緒にはぐくみ育てていけますように。



 
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