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第ニ回 思い出の町屋 其の二 プリント メール
作者 水井康之   

 ポンプのこと・・・あの、小生が居候していた堀川三条の京の町家について、もう少しお話ししとかんとあかんかなあ、と言うことを思い出しました。
 それは、先にお話したことのある、通り庭、についてもう少し詳しく思い出したからです。確か、こんな格好になってたと思います。

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 それは、まず、一間半程あったと思いますが、大きな玄関を入ると、左側にはカウンターがあって、そこはお店で事務所になっていました。 その奥には大きな ガラスの戸があって、その戸を開けると、そこが家の住まいの玄関になっています。通り庭の左手が玄関の間で、三畳ほどの広さがありました。
 そして、もう一つの区切りを通り抜けると、その奥には広々とした台所があります。右側には大きな戸棚があって、はしりもと、つまり今の、「流し」ですね。コンクリートで出来たどっしりとした、タイル張りの、それは立派な流しと調理台がありました。

 その反対側、つまり土間の通り庭の左側には、二つの大きな釜が炊ける、おくどさんがありました。
 この台所の間取りは板の間でしたが、半分は畳がひいたったように思います。そのはしりもとの横には井戸がありました。井戸の上にはポンプがありました。  このポンプが上等で、柄を上下させるのはガッチャンポンプと同じですが、この上等のポンプは、ものすごう、大きく柄をうごかさないとあかんように思いまし た。そのポンプはガッチャンポンプとはちごうて、柄を上へやっても下へやっても、水が出たのが不思議でした。

 そうそう、思い出しましたが、この家の、あの大きな表の玄関の横にもポンプがありました。このポンプはガッチャンポンプやったと思います。かどに水をまくためにも、また店の掃除をするためにも、なにかと便利に使われていたようです。
 ポンプのあるなしに関わらず、その頃各お家のかどには、「用水」と書いた800リットル程入るコンクリートの防火用水のための水槽がおいたったように思います。
 この家の子供、つまり小生の従兄らの腕白時代には、このポンプでガッチャンガッチャンとバケツに水をいっぱい汲んで、表のチンチン電車の、電車道のレー ルの溝に水をはっといて、その水を左右にさーっと噴水のようにかき分けて電車が走っていくのを見て面白がっていたと、従兄が懐かしく話してくれたことがあ りました。

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筆者宅の近くでようやく見付けた
いわゆるガッチャンポンプ

 小生が育った長屋にも、井戸とポンプがありました。勿論それは長屋で共同で使っていました。そのポンプのある井戸端では、あの井戸端会議なるものが、しょっちゅう開かれていましたね。
 ポンプのつく前は、井戸の水は釣瓶で汲んでいたのですが、この釣瓶にもいろいろあって、一番上等は井戸の上に滑車があって二つの桶が交互に水を汲み上げる仕組みになっています。
 もう一つの簡易型は長い竹竿の先に桶がくくりつけてあってその竿を操って水を汲むものや、竹竿もなしで綱だけでドボーンと桶を放りこんで水を汲む方法もあ りますが、これはかなり力がいりましたね。田舎の畑の井戸では、場所が広くありますから、長い棒に重りをつけた天秤棒に桶を綱でくくって、楽に水を汲むこ とが出来るように工夫した釣瓶もありました。

 釣瓶が井戸に落ちたときは大変です。その時は近所に、一軒だけ釣瓶を引き上げる錨を持っている家があって、そこのオッサンに「これは絶対に落としたらあかんぞ」と言われて、錨をしばしば貸してもらったことがあります。

 今では、くまなく水道が行き届き、このような水を汲む光景を見ることはめったにありませんが、たまには、あのガッチャンポンプの名残を街角で見ると、あのころを懐かしく思い出します。
 釣瓶で水が汲めることは当たり前ですし、どうしてガッチャンポンプで水が汲めるのかの原理は何となく分かるのですが、従兄の家にあったあの上等のポンプがどんな原理で水が汲めたのか、不思議でなりません。

 そこで何でも知っている、件のオッサンに聞いたことがありましたが、オッサンにも分からんらしいのです。またあのポンプを見ようと思っても、今では全く見ることができません。どなたか知っている方が居られましたら、幻のポンプについて教えて下さい。お願いします。

 「イヤー失礼しました、ではまた」

 
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