十二月~冬至のおかぼと柚子
作者 たきねきょうこ   

柚子 じんわりとした底冷えに、干したお布団の暖かさが身に沁みて、師走。

 北山おろしの風の冷たさと、日暮れの早さにせかされているうちに、もう冬至。

 南座のまねき(看板)もあがって、なにかとセツロシイ(忙しい)この季節、京都では、そろそろ冬至の支度がはじまります。

 毎年、一二月二十二日前後に訪れる「冬至」は、「昼間がもっとも短く、夜が最も長い日」に当たることから、中国の陰陽道では、二十四節気の大きな節目とされて、色々な行事が行われてきました。冬至で、もっとも高度を下げ、日照時間が短くなった太陽は、この日をさかいに、少しずつ、日差しの長さと強さを取り戻していきます。陰陽道ではこれを、「陰極まれば、そこに陽兆す(いんきわまれば、そこにようきざす)」と考え、「一陽来復(いちようらいふく)」と呼び、復活していく太陽と、春の予兆を喜び祝いました。

 京都で、冬至といえば、まずおかぼ(かぼちゃ)の焚いたん。

 渡来時に、中国を経て来たことから「南京(なんきん)」とも、「唐茄子(からなす)」とも呼ばれ、「カンボジャの瓜」との意味合いから、次第に「南瓜(かぼちゃ)」と呼ばれるようになっていったようです。今でも九州では渡来のいきさつ通り、ポルトガル語の“abobura”から「ボウブラ」とよばれ、郷土料理のひとつとして親しまれているとか。

 京都では一昔前までは、おくどさん(かまど)の天井に冬至用にと夏から保存しておいたかぼちゃが、一文字に紐をかけて吊るされていて、これを食べないとお正月が来ないとも、年を越すと実が腐るとも言われてきました。
また、このただ、ざくざく切ってはぐつぐつ炊いて、やわらかくなってきたところで、お砂糖と薄口醤油だけで炊き上げた「おかぼ」を冬至にいただくと、「中風(ちゅうぶ)にならない」ともいわれています。私の幼かった頃、冬至の声をきくと祖母はそそくさと、硬くて分厚い皮だけを和包丁であたって(むいて)、焦げつかさないよう、とろ火のお鍋の番をして、師走の午後をやり過ごしていましたっけ。

 また、冬至には「ん」のつくものを、七種食べるとよいともいわれています。「なんきん」(かぼちゃ)のほかに、「にんじん」「れんこん」「ぎんなん」「きんかん」「かんてん」「うんどん(うどん)」の七種類で、これはその語呂が、「運」「鈍」「根」につながっているからなのだそう。何事も根気強く物事に打ち込んで「根」、一心に気を散らさず精進していると「鈍」、やがては「運」も向いてくるというもの。ほんの少し昔の人々が、大切にしてきた三つの知恵の結実は、少しざらついて、ほんのり甘やかで、それでいて手厳しい、幼い頃祝った「冬至のおかぼ」の食べ心地に、なんだか似ている気がするのですが。

不思議不動尊の弘法大師像

 この冬至の日、北区・衣笠(きぬがさ)の「不思議不動尊(ふしぎふどうそん)」では、「南瓜大師供養(かぼちゃだいしくよう)」が、催されます。これは同寺に安置されている高さ約五十センチの弘法大師像が、本山である醍醐寺に祀られていた時から、なぜか、いつもかぼちゃが供えられ「南瓜大師」の愛称で親しまれていたことから、本堂に供えられたかぼちゃを前に法要が営まれ、参詣者には無病息災を祈って、大釜で炊いたかぼちゃがふるまわれます。
この衣笠一帯は、明治の中頃から琵琶湖疎水の完成によって、水田に変わったかぼちゃの産地「鹿ケ谷(ししがたに)」に替わり、かぼちゃの栽培が盛んとなり「衣笠南瓜」と呼ばれて、広く人々に親しまれていったようです。この日、境内からは、かぼちゃを炊く甘い湯気にまじって、中風封じの祈りが、初冬の空に舞い上がってゆきます。

 冬至には、もうひとつ、「こんにゃく」を食べると良いという、言い伝えもあります。
こんにゃくには、「砂払い」といって、身体にたまった砂や毒気を吸収して排出する力があるといわれ、奈良時代に伝わって以来、整腸剤として薬効が認められていました。また僧侶が好んで食したことから、一年のうちにたまった煩悩をも洗い流すとして、冬至の日には、輪切りにしたタカノツメを入れてかつおだしで炊いたり、七味唐辛子でからめたり、おだいこ(大根)と一緒に短冊に切って白和えにしていただいり。
「砂下ろしやさかい、よばれとき」と、口やかましいほど祖母に促されて、おてしょ(小皿)によそってもらった孫娘は、今も大のおこんにゃ(こんにゃく)好き。初冬から、幾度もお膳(食卓)飾る懐かしいおばんざいたちです。

 また京都では、折れた縫い針を小箱に入れて貯めておき、こんにゃくやお豆腐にさしてねぎらうというやさしい風習がありました。
今も嵐山の法輪寺では、十二月八日に「針供養」が営まれています。これは、法輪寺の御本尊、虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)が、技芸の守護神であることから、平安時代、清和天皇が、裁縫道の総司所を置いたことに由来しています。和装の街「西陣・室町」をひかえた京都の和装関係者らから今も厚い信仰を集め、着物姿の参詣者でその日、お寺は、終日賑わい立ちます。

針供養

 そして、冬至の締めくくりの立役者は、なんといっても柚子。
街のお風呂屋さん(銭湯)にも、冬至間近になると「柚子風呂あります」の札が掛けられ、丸ごとや半分に輪切りされた柚子をいっぱい入れ込んだ大きな木綿袋が、湯船に浮かべられますし、家々では、それぞれに買い置いた柚子を支度して、柚子湯の甘酸っぱい香りとぬくもりを楽しみ合います。

 この柚子、チベットや中国奥地原産の常緑喬木で、朝鮮を経て奈良時代に渡来したといわれ、酸味が強いことから「柚酸」=「ゆず」と呼ばれるようになっていったのだとか。
加熱しても香りが失せないことから、料理にも珍重され、春の山椒とともに、季節を香りたてる二大香料として、古くから盛んに用いられ、京料理にもなくてはならない薬味となっています。
また、黄色い柚子の実には邪気を祓う霊力があるとされ、冬至の日に柚子湯に入ると、風邪を引かないとも、あかぎれやしもやけが治るともいわれています。
そういえば、黄金色のかぼちゃも、魔除け・災難よけにと用いられたのだとか。これは、中国古来の「天地の間をめぐる気」の哲理・「五行説」のなかで、黄色は邪を払い、疫を防ぐ強い力を持つ根本とされたことからのよう。
冬至にいただくかぼちゃも柚子も、実は、天空で黄色の光を放ち続ける太陽の象徴で、人々は日一日と復活していく太陽それ自身を、身のうちに取り込み、身を清めて、これから少しずつ、しかし確実に春へと向かう自然のよみがえりとともに、自らの「再生」をも願い、祈ったのではないでしょうか。

 もうひとつ師走の風物詩・・・そろそろ、薄黄色のロウバイの咲き初める北野天満宮(てんじんさん)は、二十五日「しまい天神」の賑わいに、埋め尽くされることでしょう。

天神さん本殿の蛙股 この本殿の蛙股(かえるまた)には、かぼちゃが掘り込まれているのをご存知でしょうか。
豊臣秀頼の命を受け、片桐勝元が奉行となって建立したこの本殿には、美しく意匠化された菊座南瓜(きくざかぼちゃ)とその葉が、重厚な桧皮葺(ひわだぶき)の屋根をひっそりと、そしてしっかりと五百年近くも支え続けているのです。

 

 渡来して間もなかったこの野菜をいったいどんな匠が、お社の表構えといえる蛙股に刻んだのでしょうか。自由で奔放な桃山人の創作への心意気が、まさに踊りだすよう。

老梅(ろうばい)
そういえば、昔よく、生家の手水鉢にお隣のロウバイの花を散らして、遊んだもの。
紙細工のように軽くて、うつむきがちなこの花の蔭をお風呂場の窓から眺めながら入った柚子湯の、今思えばなんと贅沢だったこと。
そして、今、子供たちと柚子袋を取り合いっこしながら入る柚子湯も、またひとつの至福。

 

 来年もまた、おかぼは甘く味を含み、柚子は甘酸っぱく香り立ちますように。
そして、誰も彼もがみな、つつがないお年越しをすることができますように。

 これからもずっと、先人の知恵と工夫にあふれた京の「洛々祭菜」を、私たち大人がこれからも大切に守り続けていくことが出来ますように。