一月~小正月(こしょうがつ)
作者 たきねきょうこ   

七草のひとつ、芹(せり) あらたまの新年。
 松の内から、風花まじりの比叡おろしが吹き降ろしてきて、今年の京都は雪模様のお正月。そういえば小さい頃、年末に家の用事も手伝わず遊びほうけていると、よく祖母に「そんなことしてたら、お正月さんが、きてくりゃはらへんえ」と叱られたもの。

 みんなで囲むお鍋のあたたかさや、こたつでよばれるおみかんの甘酸っぱさに、今年もつつがなくお正月さんが来てくださったような、安けさが沁み入ります。

 このお正月、今では元旦のお正月(大正月・おおしょうがつ)ばかりが盛大にお祝いされていますが、元来は一月十五日の小正月(こしょうがつ)の方が重んじられ、人々は色々なお祝いごとや慣わしごとを、大切に守り伝えてきました。

 小正月は、まず七日の七草がゆをお祝いする「七日正月」(なのかしょうがつ)ではじまり、十五日の「小豆正月」(あずきしょうがつ)を中心に、二十日の「骨正月」(ほねしょうがつ)まで続く、一連のお祀りごとの総称です。

上弦の月 古来の人々の暮らしは、太陰暦で日を数えていた昔から、月の満ち欠けと密に結びついていて、月の細くて暗い朔日(ついたち)の大正月よりも、満月に照らし出される小正月に「お正月様(新年)が来られた」との想いを、強く感じ取っていたようです。

 そして、上弦の月の夜にあたる七日は、新月からはじまった大正月の終わりの日であると共に、満月に向かって輝きを増していく小正月の始まりの日とされ、色々な祭礼を催して、月の復活と新生を祝いました。

 

 また、一月七日は五節句のひとつ「人日」(じんじつ)とされ、中国では晴雨にかかわらず邪気を祓うため七種菜(しちしゅんさい)の羹(あつもの)を食して、その年の無病息災を祈ったことが、七草がゆのおこりとされています。春の兆しそのもののような七草を身のうちに取り込むことは、とりもなおさず、自然とひとつに溶け合い、自らもまた新たな命としてよみがえりを実感する、大切な節会(せちえ)だったのでしょう。

七草がゆの準備
七草は、まないたの上に火箸やすりこぎなど音のするものを置き、
「唐土(とうど)の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に、七草なずな…」と唄いながら
包丁の背で刻みます。

  こうして、上弦の半月、七日正月を過ぎた月は、日々明るさと大きさを増して、十五日に満月の小正月を迎えます。
この日、祝うのが「あずのおかいさん」(小豆がゆ)。小正月を「小豆正月」と呼ぶゆえんです。満月を年の初めとした頃の古い暦の名残でしょうか、やわらかく炊いた縁起ものの小豆を白がゆに散らして、満月に見立てたお餅を、椀種ならぬ、おかゆ種に取り込んだ白と赤の対比もあざやかなお祝いもののおかゆさん。

小豆がゆ

 でも、甘党の祖母の取り仕切っていた我が家では、おかゆはいつも省略されて、もっぱら小豆いっぱいのおぜんざいとしてのっけから登場していましったっけ。和包丁に布巾を添えて、うんうんと力をかけて、おかがみさん(鏡餅)を開いていくと、決まって少し汗ばむ終い際、お鍋からは、小豆の煮える音と甘やかな匂いが、台所中に広がっています。満月を落とし込んだおぜんざいをいただくには、もうひと汗、覚悟しないと。
 慣わしごとの中にある、つつましやかで、それでいて贅沢なしあわせごとを、「粗末にしたらあかんえ」と、叱られそうです。今も、祖母あたりから。

 十五日には、左京区の下鴨神社や貴船神社、北区の上賀茂神社や上京区の北野天満宮などでも御粥祭り(おかゆまつり)が催され、それぞれ趣向を凝らしたおかゆが供えられ、神事が執り行われています。東山の八坂神社では、十四日に桃の枝で作られた粥枝(かゆえだ)のお守りが授与されていて、参拝の人々は、授かったこの枝で家の小豆かゆをかき回し、翌十五日の朝一番に神前に供えて、新年の無病息災・五穀豊穣を祈られるのだとか。
 お椀に浮かび上がったお餅の満月と、天空の満月とが、より一層引き立てあいながら、この日の京都は文字通り、小豆色の湯気に染め付けられていくよう。

 やがて、満月の小正月も過ぎて月は再び欠け始め、下弦の月を迎える二十日が、「骨正月」。
 ほんの少し前まで、お店屋さんは注連の内(しめのうち)はお商売を休まれたので、お正月用の食べものは暮れの内にそれこそ大騒動して、どっさり買い込んでありました。大買いしてあった塩ブリや新巻サケも日を追って食べ進んでいくうちに、二十日頃に残っているのはアラ(骨や頭)だけになってしまいます。このアラでおだしをとって、おだいこ(大根)を炊いてよばれるのが二十日のならわし、「骨正月」です。
 「これでお正月さんがいんで(帰って)しまわはるさかい、あんじょう(きれいに)よばれとき」と祖母に促されて、アツアツのおだいこをフーフーほうばりながら、子供心に帰り支度もあわただしい「お正月さん」の後ろ姿を、ぼんやり思い巡らしたりしたり。

 幼かった頃、祖母と一緒に神さん(神棚)を清めて、散り敷いたさざんかの花びらを掃き清めて、床の間に三番叟の掛け軸をかけて、木箱いっぱいのお餅が届くのをわくわくと待ったお正月。若かった頃、大晦日と打って変わって深閑とした元日の商店街を、歩くのが好きだったお正月。貴船神社に詣でてから、夫や子供たちと加茂川で、初日の出を待ったお正月。

 それぞれの心に、それぞれが大切に慈しんでいるお正月への想いが、これからもまた、やさしく、たくさんの人に積み重なっていきますように。
 そしてなにより、この一年が、おだやかでなごやかな年となりますように!
 皆の知恵と工夫で、来年もつつがなくお正月さんをお迎えすることが出来ますように!

(2002.1.25)