三月~おひなさん
作者 たきねきょうこ   

しだれ桜
 今年は、えらく急ぎ足に春めいていく様子に、芽吹柳(めぶきやなぎ)もすっかり装いを変じて、明るい萌黄色の枝や房たちを、少し重たげに春風に揺らせています。

 この陽気で、桃も桜も雪柳もレンギョウも、堰を切ったようにひといきに咲き初めていく勢いに、こちらも気圧され気味。なんだか、落ち着かず、薄手のコートを引っぱり出したり、飛散ピークのスギ花粉にくしゃみしたり。

 

身しじみのたいたん 思い出せば幼い頃、毎年この季節になると、つづらのような荷物を背負って川魚を売りに来られるおばあさんの、その荷の引き出し式の木箱の中は、琵琶湖でとれた「瀬田しじみ」でいっぱい。今から考えると天然モノの贅沢なこの身しじみを、祖母が細かく刻んだ土生姜とで甘辛く煮しめてくれると、はしりもと(台所)は懐かしいおばんざいの香りに満ち充ちていったもの。そしてなにより「身しじみのたいたん」は、京の「おひなさん」のお膳を飾る大事なおばんざいのひとつ。

いよいよ、女の子たちが楽しみに待っていた「おひなさん」の始まりです。

 三月三日のひな祭りは、古くは中国で行われていた三月上巳(じょうし)の祓(はらえ)や、「重三」(ちょうさん)の行事に由来するといわれています。
 上巳とは、初めての巳(み)の日の意味で、中国の古い暦「三統暦」(さんとうれき)によって、冬至を含む月を十二支の子月(ねのつき)と定め、順次、干支を振り当てていくと、三月は辰月(たつづき)となります。それで辰に縁の深い巳の日を忌日として、災厄や不浄を除くための祓えを、同じ数字の重なる霊力の強い日「重三」に執り行ったことが、儀式化していったようです。
 この日中国では、川辺で青草を踏み、蘭を取って川で禊を行い、酒を酌み交わして穢れを祓う「踏青」(とうせい)という除災の風習があったといわれています。またこの踏青の際、秦の昭王(しょうおう)は、酒盃を川に流して国の前途を祝したことが、故事として宮中へ伝わり、現在も城南宮(じょうなんぐう)などで催されている「曲水の宴」の由来となっていったといわれています。
 また私たちの国では、人形(ひとがた)や形代(かたしろ)などの撫で物(なでもの)に自らの穢れを移し、海や川に流して身代わりとしてあがなってもらう、「おはらい」の慣わしごとが古くから行われていました。また、子供が生まれた際、這子(ほうこ)や天児(あまがつ)と呼ばれる布人形を作り、この人形に病いや災厄から子らを守ってくれる霊力を祈り込め、子供の枕辺に置いて大切に飾り、尊んできました。

おひなさん

 中国からの故事と私たちの国古来の慣習は、やがて習合していき、平安期には貴族らの間で、立雛(たちびな)のひな人形が、雛(ひいな)遊びのお道具としてもてはやされ、江戸時代初期には、現在のような着飾った公家姿で座り雛が作られ、雛壇に飾られるように調えられて、やがて、三月三日のひな祭りとして、広く人々の間でもお祝いされるようになって行きました。

 ところでこのおひなさま、関東とは逆に京都では右に男雛を、左側に女雛を飾ります。
 これは、中国の唐の時代からの「左上位」(ひだりじょうい)の文化が平安期に伝わり、男雛を位(くらい)の高い左側(向かって右)に据えたことによるものだそう。今でもお芝居の舞台左手を「かみて」、右を「しもて」と呼ぶのも、この名残なのだとか。
 それじゃ、関東風の右に女雛の飾り方は、今風の女性上位によるものかしらとうがってみましたが、これは昭和天皇の御大典(ごたいてん)時の立ち姿の位置によるもので、それにならったのが関東流、平安時代以来の飾り方を、今も京都人らしい意固地(いこじ=いじっぱり)さで守り通しているのが京風、ということになるようです。

ばらずし

 守り継ぐといえば、京都の「おひなさん」には、またたくさん守り続けられた美味しい取り決めごとがあります。

 その、まず最初は、大きな寿司桶に山と作られる「ばらずし」(ちらし寿司)。
 このばらずし、ちらし寿司のように生身のお魚は使わずに、ちりめんじゃこと、もどして甘辛く炊いた干ししいたけ、それにかんぴょうを酢飯に混ぜ込んで、きんし卵や木の芽、きざみ海苔で、その上を飾りつけたもの。つくられる家々で、味付けや飾り付けが微妙に違っていて、我が家の「ばらずし」は甘党の祖母の好みからか、少し甘めのお酢のご飯の上に、卵好きだった母の作ったきんし卵が、山のように盛られていましたっけ。

 このばらずしに添えられるのが、先の「身しじみのたいたん」や、赤貝やとり貝の入ったおてっぱい(ぬた)です。
 さっとゆでたわけぎに貝類をあわせて、からし酢味噌であえたもので、春の香りいっぱいの一品ですが、幼い私には、どうがんばっても美味しいとは思えず、残しては祖母に叱られることしきり。それが今では、からし酢味噌の旨みに、涙目になりながら、「春のけだるさには、やっぱりこれが一番やわ」などとうそぶきながら、お箸の止まらない言い訳にしている、厚かましさ。

 その他にも、「おひなさん」のときだけ売られる、手のひらサイズの小さな「ひな板」は、小さなかまぼこの上に手書き友禅のような模様を描いた可愛らしいお祝いもので、いただくのがもったいないぐらい、愛しげなものばかり。小さなだし巻きも添えて、まるで、ままごと遊びのようなお祝い膳は、みんな子供らのすこやかな育ちを祈る、大人たちからの心づくしのたまものです。

ひな板

 そういえば、「おひなさん」に欠かせない桃の花も、邪気をはらう霊力の強さとたくさんの実をつける豊かさが、女の子たちの末久しいさいわいを祈る花木とされ、三月三日を「桃の節供」と呼ぶゆえんとなっていったよう。
 中国の三千年に一度だけ実を結ぶ「三千桃」(さんぜんとう)の持ち主、西王母(せいおうぼ)も、三月三日が誕生日なのだとか。この仙桃(せんとう)を口にすると、不老不死が約束されたと伝えられています。
 また晋の時代、武陵(ぶりょう)の漁夫が垣間見たとされる、病いも無く、戦いもない桃源郷は、千々に咲き乱れる桃の花々の、そのまた奥にあるのだとか。春の光をまぶしばかりにまとって、あやうい白昼夢のように咲き誇る桃の花には、確かに人々の畏敬を集め、種々の伝説を呼び起こすたぐいの魔力が、秘められているよう。

 北区の上賀茂神社でも、三日、桃花神事(とうかしんじ)が営まれます。これはご神前に桃の花とこぶしの花をお供えして、御祭神に春の訪れをお知らせし、節供を祝う神事で、神殿内で今も、厳かに執り行われています。

 桃の香りに促されて、やおら春の支度に片膝立てる八百万の神様たちにも、雛壇の前でこぼしたひなあられを、小さなつたない手で拾い集める子供たちにも、春は百花繚乱の花々を打ち開かせながら、すべてを包み込むように様相を一変させていきます。

 いよいよ春本番。季節の贅沢な模様替えを、今年も驚きをもって、ゆっくり見落とさず、ひとつひとつを楽しみごとにしていけますように!

桃の花