第三回 思い出の町屋 其の三
作者 水井康之   

Image 物干し台のこと・・・一寸しつこいようですが、小生が居候していた、例の町家の通り庭の井戸の奥はどうなっていたかと言いますと、又もう一つの区切りがあって、その奥は左に風呂場があり、右には洗濯場がありました。

 その昔は、薪で炊いてたんやろか、と思わす炊き口の名残がありましたが、その頃は勿論ガスで風呂を炊いていました。

 その風呂の奥に、通り庭誕生のキッカケにもなったトイレがあります。件のオッサンが「通り庭の町家やわしの育った長屋等が、どんどん京の町に建ち出した 頃に、その筋から、井戸の横にはトイレを造ってはあかん、とのお達しがあったんやが、なかなか改善されないため、とうとう巡査が注意して廻ったはったこと があったんや」と、当時の衛生に関する興味深い話をしてくれたことがありました。そういえば、あの頃の井戸端の近くにトイレがある家がぎょうさん見受けら れました。

 通り庭のトイレの次には、昔は割り木でも入っていたような大きな物置がありました。

 いよいよ長い通り庭もドンツキになります。そこには「はなれ」と呼ばれる瀟酒な建物があります。この「はなれ」は、三畳のあかりかまちと六畳の座敷から なっていて、奥座敷の庭をはさんで位置し、静かな雰囲気の場所でした。この「はなれ」には通り庭からも行けるようになっています。下駄のままで、通り庭か ら立派な灯篭や庭木のある、奥座敷の庭に入るために、「はなれ」に通じる縁先の渡り廊下が、はめ込み式の「はね橋」になっていました。面白がってその橋を 開けたり閉めたりして、よく叱られた思い出があります。

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 そうそう、もう一つ大切なとこを忘れていました。あの洗濯場の向かいに、通り庭から二階へ上がる階段がありました。この階段は、実は洗濯もんを干すため に、それ専用にできたようなもんです。この階段で二階に上がりますと、二階の座敷にも通じていますが、風呂やトイレの屋根の上に簀子の渡り廊下が、はなれ の屋根の上の一番高い物干し台まで通じていて、洗濯もんを干すことができるようになっていました。

 小生は、この一番高い物干し台が気に入って、よく上がっていました。すると、下から従兄に、近所を覗いたらあかん、はよ、降りて来い、としょっちゅう叱 られていましたが、小生は近所のことより遠くの山や甍の波や一寸向こうの形のいい木など、日頃地上で味わえない雰囲気に浸っていたのです。

 話は違うのですが、こんなことが言えるかも知れません。自分の家からの眺めは、いつもの景色で見慣れていますが、めったに上げてもらえない、お向さんの 二階に上げてもらって、自分の家や隣近所を眺める時などは、全く違ったところへ来たような錯覚さえして、なんか妙な興奮を覚えることがあります。物干し台 へよく上がったのも、そんなほのかな興奮を楽しみたかったのかも知れませんね。一寸向こうの、あの木が黄色に色づくのを待ったり、遠くの屋根の工事がどの ぐらい進んだかな、と考えてみたりして楽しんでいたんですが、今では京の町も甍の数よりビルの数が増えてきたようで、あの時の物干し台も今はなく、何やら 寂しい気がします。

 毎日街角の景色に、ひそかに一喜一憂している小生をあほかいな、と思われるかもしれませんが、ヨーロッパの町ではそんな人々のために、家の窓に綺麗な季節の花を飾らないとあかんとこがあるそうです。そこまでは、と思いますが、いつまでも綺麗な町でありたいですね。

 話を元へ戻しますが、町家のシリーズも、突き当たりのはなれの屋根の上まで来てしまいました。京の町家について、そんなことはないで、こうやで、とご存じの方がおられましたら、お教え下さい、お願いします。
「イヤー、失礼しました。では又」

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