油小路の変跡 ~ 御陵衛士残党を粛清した血の闘争跡
   

御陵衛士のリーダーとして新撰組から独立した伊東甲子太郎は、新撰組にとって邪魔な存在でした。宴席の帰り道に伊東を暗殺した新撰組隊士は、その遺体を油小路七条の辻に放置し、伊東暗殺の報を聞いた御陵衛士の残党が回収するのを待ち伏せ、襲撃する材料に使ったのです。この戦いは熾烈を極め、御陵衛士は七人中三人の死者を出しました。この中には新撰組前身の試衛館時代からの同志であった藤堂平助も含まれていました。
伊東を含む御陵衛士の遺体は数日間放置の後、新撰組の菩提寺である光縁寺に葬られましたが、鳥羽伏見の戦いの後、生き残った同志により戒光寺へと改葬されました。

油小路の変跡(あぶらのこうじへんのあと)
京都市下京区油小路通木津屋橋上ル(本光寺門前)


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