よく「清水の舞台から飛び降りる」といいますが、本当に飛び降りた人っているんでしょうか?
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ここ140年ぐらいはわかりませんが、江戸時代には年に1人ぐらいはおられました。

「清水の舞台から飛び降りる」とは、行動を起こすときの決意を表す言葉として用いられますが、この言葉、歴史を紐解けば、例えではなく事実であったことがわかります。

清水寺の学芸員の方が、清水寺に残る文書「成就院日記」を調査されたところによれば、江戸時代の庶民信仰の一つに「清水の舞台から命を懸けて飛び降りれば、願い事がかなう」というものがあったそうです。江戸時代には観音信仰が盛んであったとも言われますから、「死んでも救われる」という信仰のもとの行動であったと思われます。
文書には飛び降りに関する記述もあり、その記述を抜き出してまとめると、148年で未遂も含め234件の飛び降りがあったそうです(文書自体は1694~1864年までのものですが、抜けがあるそうです)。
これを1年あたりに直すと、約1.6件。抜けの部分も同じように起こっているとすれば、江戸時代で424件の飛び降りがあったことになります。飛び降りの7割は男性。下は12才から上は80代と、なかなか幅広い年齢層です。10代・20代で全体の7割を占めると言いますから、色恋沙汰に絡んだ問題が多いのかもしれません。
飛び降りてお亡くなりになった方は全体の約15%。やはり若い人は生き残りやすいようです。中にははるばる遠方から飛び降りに来た方もおられたとか。

明治時代に至り、1872(明治5)年に京都府より「飛び降り禁止令」が発布され、事態は沈静化の方向に向かいました。それ以降はほとんどおられないようです。

事実とはいえ、いささかぶっそうなお話でした。