なぜ「師団」街道なのですか?また、この街道はどこからどこまでですか?
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北は川端塩小路の交差点から、南は伏見の京町通に続く国道24号線までの、全長約4.8kmの道を指します。

日露戦争開戦の翌年に当たる明治38(1905)年、日本帝国陸軍は兵力を強化し、師団数を12から17に増強することを決定します。明治40年に第16師団の京都設置が決定し、翌年には深草の地に移駐が完了しました。
師団街道は、京都市街地と師団指令本部を結ぶ道路として敷設された道路です。当時はこの区間は田地であったようで、その作業の多くは、近隣の山間地から採取した土を盛る作業であったといわれています。
師団指令本部近辺と京都市内中心部を結ぶ道の敷設は師団設置以前より計画されており、当初は三条烏丸から続く道であったものが、何らかの理由により現在の長さまで縮小された模様です。

師団指令本部は、現在では聖母(せいぼ)女学院藤森キャンパスの本館として使用されています。煉瓦の綺麗な威風堂々とした洋風の建物を、同校の校門からも見ることができます。