東寺は現存していますが、西寺は現存していないのでしょうか?
プリント 

現在は礎石とモニュメントが残っているのみです。

東寺と西寺は、どちらも羅城門を守護する目的で建造されました。ほぼ同規模の寺院であったとされ、京都では有数の寺院であったと考えられています。

824年、干ばつの際に神泉苑にて祈祷が行われました。このとき祈祷を行ったのは東寺の空海と、西寺の守敏という僧侶です。このとき空海は見事竜王を呼び寄せて雨を降らせて守敏に勝利しました。敗北を恨んだ守敏は空海に矢を放ちましたが、黒衣の僧が身代わりとなって空海を守りました。このときの僧は地蔵菩薩であったといわれており、羅城門の近くに矢取地蔵として残されています。

このときより西寺の衰退が始まり、その後寺院のほとんどが消失してからは、平安京西部の衰退もあって、1233年の五重塔の焼失を最後に姿を消しました。現在は金堂礎石の一部が西寺公園に残されているのみです。