五月~白峯神宮(しらみねじんぐう)と小賀玉木(おがたまのき) |
作者 たきねきょうこ | |||||||||
吹き上げる薫風に、ひるがえった葉裏のしららかさが目に沁みて、皐月。 上京区、堀川今出川を東に入った北側に鎮座する白峯神宮の小賀玉木も、四方へ伸ばした枝々を風に揺らせて、この季節の心地よさを謳歌しているよう。 この小賀玉木は、黄心樹とも書かれるモクレン科の常緑喬木で、常緑であることが尊ばれ、神木とされたことから、この枝を神前に供えて神霊を招く意味の「招霊」(おきたま)が転じて「おがたま」と呼ばれるようになったとも、実の形が大きな玉に似ていることから「小香玉」(おがたま)と名づけられたともいわれています。神社の境内に多く見られるのもこのゆえんのようですが、特に白峯神宮の小賀玉木は抜きん出て大きく、昭和60年の京都市の天然記念物に指定され、16メートルに及ぶ高さで、今も深い樹陰に古老の神官めいた厳かさを漂わせながら、辺りを神気立たせています。 慶応四年(1868年)に創建された白峯神宮の社地は、元来、蹴鞠と和歌の家元として名を馳せた飛鳥井家の邸跡にあたり、この立派な小賀玉木も飛鳥井家の邸宅であった時代に植えられたものと思われます。境内には飛鳥井家の鎮守神で、蹴鞠道の神として名高い「精大明神」がお祀りされていて、今も、サッカーの上達を願う少年たちのお参りで賑わい、小賀玉木の北側には、石造りのボールが埋め込まれた「蹴鞠の碑」も建立されています。 また、白峯神宮のすぐ東北には本阿弥光悦の屋敷があったと伝えられ、住宅地の塀沿いに見過ごしてしまいそうな石碑がひっそりと建てられています。足利時代初期よりこの辺りに住まいした本阿弥家で永禄元年(1558年)に産声を上げた光悦は、徳川家康より洛北・鷹峰を拝領して光悦芸術村を造るまでの58年間を、この地で過ごしたのだとか。 だとすれば若き日の光悦が、飛鳥井家の庭から枝を張り、花を揺らすこの小賀玉木を仰ぎ見て、しばしその芳香に酔い、花色を愛でて家業の疲れを癒し、芸術的感性を高めていたかもしれず。そして、芸に遊び、風月を楽しんだ光悦のその姿を、小賀玉木は遥か高みの花陰から、静かに見守っていたのかもしれませんね。
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