十一月~お火焚きさん |
作者 たきねきょうこ | |
実りの季節の到来。 ほくほくの焼き芋にゆで栗、そして、炊き立ての新米。 十一月になると、あちらこちらで揺らぎ始める、「お火焚きさん」も、日ごろお世話になっている火への感謝と畏敬のおまつりです。 今でも、火を扱われる古い商家・・・染物屋さんや造り酒屋、食べ物屋さん、お風呂屋さんや鋳掛け屋(いかけや)さんなどでは、霜月のそれぞれ決まった日になると、お釜やはしりもと(台所)を清め、かまどの上にお不動さん(不動尊)の祭壇をこしらえて、お供え物をあげ、お火焚きをなさいます。 家族や店の働き手それぞれの願いごとを記した護摩木(ごまぎ)が、祭壇の前に井桁に組み上げられ、「日にち、おかげをこうむりまして、おおきにありがとうさんです」と、火を点けた家長が、手をたたきお礼を唱えると、護摩木は火の粉を散らしながら、勢いよく燃え上がっていきます。 でもそれほど物資の豊かでなかった当時、幼い母をはじめとする子供たちの本当のお楽しみは、お火焚きのお供え物のおさがりだった様子。 さてそのお供えはというと、まず、「お火焚きまんじゅう」。 それから次は、「おこし」。 そして最後は、三宝に山のように積み上げられた「おみかん」。 今では、近くのおまんやさん(和菓子屋さん)で、お火焚きまんじゅうを買ってきて、いただくくらいになってしまったお家も多い中で、市内の各神社では、それぞれに「お火焚き祭り」が営まれ、晩秋の京都の風物詩となっています。 なかでも有名なのが、十一月八日に催される伏見稲荷大社の「お火焚き祭り(火焚祭)」で、数十万本の「火焚き串」(護摩木)を焚き上げて、万物をはぐくむ稲荷神(祖霊神)に感謝をささげるという、天空までも焦がすような、荘厳で壮麗なお祭りです。 またお稲荷さんといえば狐がつきものですが、山科の花山稲荷神社には、こんな逸話が伝えられています。 平安中期、名工と讃えられた三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)に、後一条天皇より守り刀を打つようにとの勅命が下ります。宗近がすぐに近くの稲荷社に祈願しますと、満願のほど近く、一人の若者が刀作りの合鎚(あいづち・師と向かい合って、相互に鎚を打つ弟子)を、申し出てきます。喜んで迎え入れますと、その若者は卓越した打ち手で、その甲斐あってすばらしい名刀が、打ち上がります。そして若者はその名刀に、「子狐丸」(こぎつねまる)名づけて、いずこともなく去っていく・・・実はその若者は、稲荷の神のお使いの霊狐だったというわけですが、能「小鍛冶」では狐載(狐の形の冠)をつけた蓬髪姿の稲荷神の化身が、狐足と呼ばれる独特の足使いで、霊妙さを見事にかもし出しますし、歌舞伎や長唄などにも脚色されて、今も、広く人々に親しまれています。 この狐をお祀りする花山稲荷神社は、金物類を扱う商家や鋳掛け屋さんから、今でも敬い崇められていて、十一月の第二日曜日の「お火焚き祭り」には、「火焚き串」を、火をおこすときに使う「ふいご」の形に積み上げて、火の粉を舞い上がらせます。 火の恩恵にあずかって久しい私たちは、今年もやっぱり炊きたての新米や、ゆで上がったばかりの丹波栗や焼き芋を、暖かいこたつやヒータ-の傍らで、口福(こうふく)にひたりながら、当たり前のように享受しています。 しかし火は、紅蓮の炎となってすべてを焼き尽くし、滅ぼし尽くす力をもそなえ持った人の力ではおよびもつかない、また、尊いもの。 私たちが、どうぞいつまでも先人たちの火への、季節への、感謝と畏敬の気持ちを忘れずにはぐくんでいけますように。 そして、私たちのしでかす無益で、短慮なおこないごとによって、私たちを養い育てた地母神を、どうかこれ以上、火によって傷つけたりしないための人の知恵や手立ても、一緒にはぐくみ育てていけますように。 |