四月~やすらいさん |
作者 たきねきょうこ | |||
![]() もうすっかり葉を茂らせた新緑の中に、遅咲きの八重桜や鬱金桜がはなやかな花吹雪を舞わせては、それぞれにまた見事な葉桜姿に衣替え中。名残の桜吹雪の間をぬうように、春のお祭りのさきがけとなって鳴り響いてくるのは、「やすらいさん」の鉦(かね)と鞨鼓(かっこ)、そして今様(いまよう)風の囃し歌の歌声です。
「やすらいさん」は「やすらい祭り」の親しみを込めた呼び名で、私が生まれ育った紫野(むらさきの)に鎮座まします今宮神社の春祭り。四月の第二日曜日に行われるこのお祭りは、長い歴史といわれを持ち、京の三大奇祭のひとつにも数えられています。
北区、大徳寺の北西に位置する今宮神社は、古くは紫野社(むらさきのしゃ)と呼ばれ、長安三年(1001年)に流行した疫病に際して、御霊会(ごりょうえ)が営まれたことを機に造られたお社で、やすらいさんのお祭り自身は、久寿元年(1154年)の四月に老若男女が夜須礼(やすらい)と称して、風流傘などの作り物をなし、笛や太鼓を奏でながら紫野社へ詣でたことが始まりとされています。 平安時代、桜の散り初める旧暦の三月頃から、猛威をふるい始める伝染病の数々を、人々は桜の散り花に取り憑いた「疫神(えきしん)=悪霊」の祟りであると考え、これを鎮め慰めるため鎮花祭(ちんかさい)=はなしずめのまつりをとり行いました。これがやすらいさんのおこりで、後白河法皇によって編まれた梁塵秘抄口伝集(りゅうじんひしょうこうでんしゅう)にも、そのいわれが書き残されています。 今も平安期からのかたちそのままに、今宮神社での献せんの儀の後、何組かにわかれたお練り衆が、氏子町の厄を祓うように辻から辻へと歩いていきます。行列にはまず一番に、小さな私が怖くて仕方のなかった、白小袖に緋縮緬のうち掛けをまとい、赤や黒の赤熊(しゃぐま)を頭にかぶって、太鼓や鞨鼓、それに鉦を打ち鳴らす大鬼や子鬼の姿が、色鮮やかに目に飛び込んできます。その他にもお祭り用の裃に身を包んだ先立(さきだち)や悪霊鎮めの鉾、御幣(ごへい)持ちに風流傘、それに笛や囃し方が加わって、行列は賑やかに大通りから路地まで町内をゆっくりと練り歩きます。 「やー、とみくさのはなや、やすらい花や」 と今様風の囃し歌にのせて、赤鬼、黒鬼たちはさながら、散り花にあおられて飛び散ろうとあたりをうかがう目に見えぬ疫神たちと競い合うように、激しく飛び跳ねながら乱舞して、行き場のない霊らを花傘の下に取り込んでいきます。 やがて社殿の前に戻った行列は、再びやすらい踊りを乱舞して、花傘に宿した祟りなす霊たちをお社に追い込めては、「今宮社(いまみやしゃ)=今宮とは新しく生まれた霊の意」の一員として招き入れ、今度は御霊(ごりょう)として手厚くお祀りしていくのです。いにしえ人の鎮魂(たましずめ)の手際の良さに、現世(うつしよ)でも惑い気味のこちら方は、見事な手腕と手立てに感心することしきり。
ちょうど春のさばの美味しいこの季節、昔はどこのお家にも木枠でこしらえた押し寿司用の型があって、お祭りの日には朝から、お知り合いや親戚に配り歩いたもの。 今年の「やすらいさん」では、娘の同級生や友人の息子さんを、お練り衆の笛方でたくさん見かけました。いつもとは少し違う神妙な顔つきで、また各所でいただいたお菓子で重たくなった袂で、それでも一生懸命、和笛を吹いている姿は愛らしく、またとてもりりしくて思わず笑みがこぼれます。 残り花をなお散り急がせる迷子の精霊たちが、今年もちゃんと花傘を見つけてはもぐり込んで、今宮の御社で、御霊(みたま)として安んじることが出来ますように! そして、笛方や子鬼をつとめるまだまだつたない子供たちが、すこやかに長じていけますよう、今宮社の鎮守の森の高みから、見守まもってやって下さいますように! |