新撰組参謀を務めた伊東甲子太郎は、尊皇攘夷という自分の思想と、幕府お抱えの治安部隊として佐幕色を濃くしていく新撰組の考えの相違から、御陵衛士として分離独立します。策士であった伊東の脱退は新撰組にとって脅威であり、局長であった近藤勇は伊東の暗殺を画策します。 近藤は伊東を自分の妾宅に招き、宴を設け酔わせます。その後帰宅中の伊東を新撰組隊士に襲わせ、本光寺前で暗殺したのでした。 新撰組は京都を舞台にし、様々な戦いを繰り広げましたが、その死者の多くは戦死や殉死者ではなく、厳しい局中法度や内部抗争による粛清による者が大半であり、その死者は41名にものぼったとされています。
本光寺(ほんこうじ) 京都市下京区油小路通木津屋橋上ル
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