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九月~お月見とおはぎ プリント メール
作者 たきねきょうこ   

おはぎ 今年の夏の終わり際の、幕引きの手早いこと。

 酷暑仕舞いのこしらえを、台風ごとに見事に納めこんで、気が付けばすだく虫達の音も声高に、あたりは秋の気配に満ちみちています。
  帰っていった燕の巣跡を、軒のとゆ越しに覗き込む、秋の長雨も所在なげ。
 この雨が上がったら、軒越しに、雲の切れ間から透き通った大きな月が、顔を覗かせてくれるでしょうか。

 いにしえの昔より、月がもっとも美しいとされたこの季節、秋、長月。

白露を 玉になしたる九月(ながつき)の 有明の月夜 見れど飽かぬも
                               (万葉集 十-二二二九)

 万葉のますらお人も、この季節、なりわいの手を止めて飽かぬとも尽きぬありようで、はるか天空の月影を見遣ったのでしょうか。

 今も変わらずしららかな光を投げかけてくれる月は、古来より洋の東西を問わず、神聖なもの、また魔力を秘めた存在として、人々に崇められてきました。
 ギリシャ神話の貞節な月の女神アルテミスは、また狩りの名手であり、嵐を自在に司るヘカテ神としての荒ぶる魔力をも同時に備え持っていました。今も欧米で盛大に祝われる万聖節(ハローウィン)は、この魔力を恐れ、崇めた古代の人々の信仰心が、後に伝わったキリスト教と習合して祭礼として定まっていったといわれています。
 満月の夜、狼男は変身し、魔女は黒魔術の集会を開き、かぐや姫は、竹取の翁に見送られて、月光輝き渡る空高く、昇っていきます。
 月には海水を満ち引きさせるだけでなく、私たちの身体の中に含まれる水分や、心それ自体をも惹きつける不思議な引力を、備えているように想えてなりません。

月見の飾り 中秋の名月を賞する「お月見」は、中国で始まり、平安期に「観月の宴」として盛んに催されるようになり、やがて人々の歳時記に根付いていったもの。
 古くは「月夜見」(つくよみ)とも呼ばれ、神代紀には、月読尊(つくよみのみこと)として、月を男神として崇められており、また月自身をも月読男(つくよみおとこ)と擬人化して、神聖視されていたようです。 西洋では女神として、また、私たちの国では男神として月がお祀りされているのも、面白い逆説ですが、月を崇め憧れる想いは、いずれも同じこと。

 お月見の元来のおこりも、中秋の美しい名月に惹き寄せられた人々の畏怖の心が、自然に儀式化され、慣習化していったのではないでしょうか。

 京都の古いお家などでは、今も旧暦八月十五日の中秋の宵になると、お供え台の上に、萩やすすきが生け込まれ、対の御神酒がしつらえられて、三宝にはお団子とこいもが、その年の月の数(通年は十二個、閏年は十三個)だけきれいに積み上げて、お供えされます。
 おさがりのお団子とこいもを、翌日の白味噌仕立てのお汁にしていただくのが、お月見の美味しいお楽しみの締めくくり。
 折々の季節の取り決めことを、生真面目に受け継いできた人々の質素で風雅な暮らしむきが、湯気立つおなべの向こうから、かぎろい立ってくるようです。



 
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