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ホーム arrow みさとみちくさ arrow 十二月~山茶花(さざんか)と小町寺(こまちでら)
十二月~山茶花(さざんか)と小町寺(こまちでら) プリント メール
作者 たきねきょうこ   

山茶花 子供時代、比叡おろしの冷たさに、思わず曲がった垣根をやわらかな花弁で飾っていたのは、さざんかの花。
懐かしい唱歌の景色・・・垣根の曲がり角での焚き火をみることは、今ではむずかしくなってしまいましたが、今でもさざんかは、薄ピンクや白、濃い紅色の花色で、殺風景になりがちな師走の街に、彩りを添えてくれます。

 鞍馬街道を北へ向かった市原にある通称・小町寺にも、この季節、薄紅色のさざんかが、境内に咲きこぼれます。

 如意山・補陀洛寺(ふだらくじ)と正式にはいわれるこのお寺は、平安期、絶世の美女と詠われた歌人、小野小町の安住、また終焉の地と伝えられており、北風から守られるように木立に抱かれて、小町の供養塔が、今もひっそりとお祀りされています。

 年老いた小町は漂泊の果てに、懐かしい昔、父が暮らした市原野の生家を訪ね、昌泰三年(900年)四月一日、そこで朽木の倒れるように息絶えたと伝えられています。

小野小町供養塔 また、小野小町といえば、深草少将の百夜通いの説話が有名ですが、能「通小町(かよいこまち)」は、この市原野を舞台にしています。
物語は、八瀬の山里の僧に、市原野辺に住む姥から毎日、木の実や焚き木が届けられることから始まります。不審に思った僧が名を尋ねますと、小野小町の霊であることをほのめかし、市原野での回向を、僧に願い出、消え入るように失せていきます。
約束通り、露深い市原野で僧が念仏を唱え始めますと、小町ともに、深草少将の亡霊があらわれ、「煩悩の犬となって、打たるると離れじ」と、百夜通いの苦悩と恋心の執念を訴え、小町に追いすがりますが、やがて、二人共に、「佛道なりにけり」と成仏していきます。

 市原野と小町の深い由縁から、この補陀洛寺は、人々から次第に小町寺と呼ばれ親しまれるようになり、供養塔のほか、「小町穴芽(あなめ)のすすき」など小町のゆかりの遺跡が今も、たくさん残されています。

 「小町姿見の井戸」のすぐ脇、如意山の石塔横に、樹齢八十年と伝えられるさざんかの木が、この季節、ひとつ、またひとつと花を開き始めます。薄紅色の花々をこぼれんばかりにつけて、凛と枝先を空に伸ばす立ち姿は、誉れ高い往時の、小町自身の似姿のよう。

如意山石塔と山茶花 この五弁の花弁が散り敷いていく美しいさざんかは、日本特有の常緑樹で、枝葉が細やかなことから生垣に多く植えられ、「古今要覧稿」によると、九州・都城(みやこのじょう)地方では、昔は家ごとにさざんかを植え、その若芽を摘んでお茶にし、実をしぼっては髪結い油にして、実用としても重宝なさったのだとか。また中国で、山茶花と書けば椿の木指すのだそうで、あちらでのさざんかの呼び名は「茶梅」だそう。

 市内よりは朝晩もうんと冷え込む市原の地で、小野小町の安らかな眠りを見守るように、頬を染めた若き日の小町のようなさざんかは、今年もそろそろ、花の盛りを迎えようとしています。

小町寺(こまちでら)

説明 天慶八年(945年)天台宗座主・延昌僧正によって発願され、創建された発願寺。平成十一年に再建された本堂には、阿弥陀如来・観音・勢至菩薩の他、小野小町老衰像も安置され、お祀りされています。
住所 京都市左京区静市市原町1140(Googleマップで表示
交通 叡山電車 市原駅下車 南へ10分
京都バス「小町寺」下車 すぐ
情報 TEL 075-741-3662
 
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