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六月~夏越祓(なごしのはらえ)と水無月(みなづき) プリント メール
作者 たきねきょうこ   

水無月(みなづき) 早いもので、今年も、もう六月。
 一年の折り返し、節目時の到来です。

 京都のそこそこの神社に大きな茅輪(ちのわ)を見かけるのも、この頃。

 六月三十日に、このイネ科の多年草「茅萱(ちがや)」で作られた茅輪をくぐって半年間の穢れを祓い、息災を祈る神事が、「夏越の祓(なごしのはらえ)」です。

 この夏越の祓は「水無月祓(みなづきのはらえ)」とも呼ばれ、すでに、天武天皇の時代から、六月晦の日に、内裏朱雀門に、 天皇以下百官が集まり、茅輪の祓物をくぐって邪気を払ったとされています。この夏越の祓のおこりとして、こんな説話が伝えられています。

茅(ちがや) 昔、蘇民(そみん)将来・巨旦(こたん)将来という兄弟のところに、一人の旅人があらわれ、一夜の宿を乞います。裕福な兄、巨旦に冷たく断られた旅人を、貧しいながら弟、蘇民将来は暖かくもてなします。
 八年後、再び訪れた旅人は、恩返しにと、蘇民に茅輪を作らせますが、その後、国中に悪疫が流行し、生き残ったのは蘇民将来ただ一人。実は、この旅人は、祇園社の御祭神・素サノウ鳴命だったといわれ、この言い伝えが後に、六月晦日の夏越の神事と結びついていったようです。

 ところで、一月から六月までのけがれを祓った後、七月から十二月の残り半年分のけがれを、以前は、十二月大晦日に「年越祓い」として、執り行っていました。ところが年を追うごとに、「除夜祭」ともいわれたこのお祭りはすたれていってしまい、六月前半の夏越の祓だけが、盛大に行なわれるようになっていったようです。来るべき夏の暑さや、木の芽立ちの疲れにそなえて、知らず知らずのうちに、人々の間で、夏越の祓いは、節目の慣わしごととして、大切さを増していったのではないでしょうか?

 今でも、六月三十日には京都の町の、あちこちの神社で、しつらえられた茅輪をくぐって、息災を祈る、人々の姿が見受けられます。南区の城南宮は、方除け(引越しや旅行など移転をともなうこと)の御祭神、城南明神をお祀りする神社らしく、車ごとくぐり抜けられる大型の茅輪が、しつらえられます。昔は、この城南宮のある南区・鳥羽あたりにも茅萱は自生していたらしく、それを編んで茅輪にして、夏越の祓の支度をしたようです。「和漢三才図絵」によると、

「夏、白花を生じ穂をなす。細実を結び、秋枯れる。
根、長くして白く、やわらかくして節あり。
          それを見れば光沢あり。腐りて変じて蛍となる。」

 と、記されています。
 蛍というたとえは、腐った根が、燐光を発することからなのだとか。きっとこの鳥羽あたりも、平安末期の鳥羽離宮の造営前までは、そんな茅萱のひかりのうねりに、見え隠れしていたのかもしれませんね。



 
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