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ホーム arrow 洛々祭菜 arrow 七月~たなばたさんと御手洗団子(みたらしだんご)
七月~たなばたさんと御手洗団子(みたらしだんご) プリント メール
作者 たきねきょうこ   

 天上のかささぎ橋の上で、1年間のあれこれを秘めて彦星と織姫、二星が手をとり逢う頃、地上では、それぞれの子供時代を包み込みように、その想いいのたけの短冊が、笹竹を揺らしていることでしょう。
この七夕飾り、奈良時代に中国から伝わり年中行事として取り入れられた「乞巧奠」(きっこうでん)が、その由来とされています。
 これは織りの巧みな織女にあやかろうと、技芸や詩歌手蹟の上達を祈った行事で、江戸時代から町衆の間でも、広く行なわれるようになっていきました。今も、昔からのしきたりを大切に守り続けていらっしゃる冷泉家(れいぜいけ)では、7本の針に五色の糸を通してお供え物を上げ、二星がおいでになる客間をしつらえ、梶の葉に和歌をしたため、平安時代そのままに夜明けまで歌を詠み合い、この夜を祝います。
 古式ゆかしく梶の葉を浮かべた角だらいには、取り込まれたような天の河が、夏の夜風にさざなみ立っていることでしょう。

蛍舞う川 この日、各神社でも七夕飾りに彩られた七夕祭が、催されます。
 上京区の白峯神宮で行なわれる精大明神祭(せいだいみょうじんさい)では、梶鞠(かじまり=けまり)の奉納のほか、紫の鉢巻に片袖をぬいた緋襦袢姿も愛しげな女童たちの、「七夕小町踊」が舞い納められます。この踊りは、江戸時代初期から京の町で流行った、太鼓を叩き、盆歌を歌いながら、着飾った町娘が輪になって踊ったといわれる「七夕踊り」が、その由来となっています。

 東山の清水寺内の地主神社や「天神さん」で知られる北野天満宮でも、梶の葉を器代わりに、初夏の実りと、花々がお供えされます。生け込まれたほおずきには、薄黄色の杯型の花と一緒に、もう小さい実が、見え隠れしているかもしれませんね。

 北野天満宮の七夕祭には、初夏の恵みのほかに、神前に御手洗団子がお供えされます。御手洗祭とも呼ばれるこの祭りにお供えされるお団子は、上新粉を練って丸め、5つのお団子を串に刺しただけの簡素なものですが、なんと100本も、神殿前に奉納されます。この御手洗団子、豊臣秀吉が北野で大茶会を催した際にも献上され、その風味を愛で賞したと伝えられていますが、秀吉公が召し上がったのは、炭火でこんがり焼き目をつけて、黒蜜のたれに漬け込んだ、私達にもお馴染みの御手洗団子の方だったようです。

 御手洗団子は、よく見ると、一番上がやや大きく、2番目以降との間が少し開けられて作られています。これは、一番上を頭に、残りを四肢になぞらえ、人のかたちに模して、厄を払うという意味があるからなのだそう。 今も昔ながらの竹の皮に包んだ、あつあつのお団子を、指先から口のまわりまで蜜で黒光りさせながらほうばると、懐かしい黒砂糖の風味が、口中にじんわり広がっていきます。
 残った蜜を、「あとでよばれるさかい」と仕舞っていた「もったいながりや」の祖母に似てか、鼻の先にまで黒蜜をつけた息子が、残った蜜を集め込んでは、小皿に集め、舐めようと背中を丸め込んでいる姿は、質素を旨とする我が家の養生訓なのか、甘党DNAのいじましさのなせる業なのか・・・。

 何はともかく、
  はるか天上では、晴れ渡った夜空に、二星、逢いまみえ、睦みあわんことを、
  こなた地上では、笹飾りを揺らす幼き子供らに、すこやかな幸いの多からんことを。
  われら黒蜜の滋養と味わいに、この夏のつつがなさを祈りつつ。
 



 
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