十月~紫式部と墓所 |
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作者 たきねきょうこ | |||||||||||
朝鮮半島から中国、台湾まで幅広く分布し、日本全域でも見られますが、文献に登場するのは、江戸中期の「和漢三才図絵」あたりからで、その頃から都の文人墨客の間で、才媛で名高い「紫式部」の名で呼ばれ始めたようです。 北区の堀川北大路を少し南へ下がった西側に、この紫式部の小さな墓所が、今も、ひっそりと鎮まって遺されています。こんもりと盛られた墳墓の上には五輪塔が据えられ、傍らには平安初期の漢学者・小野篁の墓も、並んでお祀りされています。 ちょうど今頃、墓所の入り口の石碑には、ひとむらの紫式部が濃紫の美しい実をたわませて、稀代の女流作家の終焉の地を、つややかに彩っていることでしょう。
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